2010年2月24日水曜日

on this weekend

今週末から月曜にかけてのこと話しまーす。


まずは土曜日。DAWNという同じJFC問題に取り組むNGOで日本人が研修していると聞き訪問。

日本語クラスを見学し、自分も少し手伝いましたが、思ったより教えるのは難しい!特に英語もよくわからない小さい子には本当に苦労しました(こどもは苦手なのです・・・・・)。結局僕は敵前逃亡し、隣にいた男性に個別指導をつけていましたwwww
かれは日本で多国籍料理店を開くことを夢見る22歳。僕もフィリピン料理は大好きで、ぜひ日本でフィリピンテイストのレストランを開いてよ!みたいな感じで話していたのですが、こんな話どこかで聞いたことありません?
そう、去年日本で放映された松潤、ガッキー主演のドラマ「フレンズ」ですwwww
彼もそのことを言っていて、凄い偶然、あれはでもなかなかいいドラマだったよと言ってました。

その後はアイセックのイベントに招かれ近くの大学へ。

Outgoing EPs に対するセッションで、フィリピンのMCも日本と同じように「自己、研修国、母国へのインパクト・・・・・」などなど力説していました。

僕もゲストスピーカーとして前でスピーチをする機会を与えてもらい、自分なりに研修について語ってきましたよん。「日本に来るからには誰も英語はしゃべれないと思え!それでも君らはそこで何らかの差異を生み出すことを期待されているのだ!」的な感じでww





その後は前のブログでも書きましたが、うちのアコモでどんちゃんwww

日曜日は研修生のさとしさんとお出かけ。
まずフィリピンなのにモスクに行き、少数派のイスラーム教徒から思わぬ歓迎を受ける。

Someday Islam will embrace you!! って言われた。まぁ日本だったら戒律もそんなに厳しくないし、ムスリムに改宗するのも悪くないかな・・・・



その後は華僑博物館へ。現在フィリピンで絶大なる影響力を持つフィリピン華僑。アイセックの華僑のメンバーは社長の子息ばかりで、仲良しのグレン君は「こないだ誕生日にダッドがフォルクスワーゲン買ってくれたんだけどさぁ~、ホイールわざと花柄にしてんの!ほんとクレイジーwwww」と笑っていましたwwwwww

今や流通・小売、航空、金融、食品などフィリピン最大手の企業はみな華僑資本です。人口比率で言えば全然少ないのに、金は皆彼らが持っています。アイセックの中でも、華僑率は異常に高いです。



月曜日はラファエルにつれられてアメリカ人墓地に。第二次大戦中にフィリピンで命を落としたアメリカ人17000人が眠っているのですが、17000のクロスが整然と公園を囲むその様は圧巻の一言。
お墓なのに美しいとさえ思いました。。。。。。(ユダヤ教徒の墓にはダビデの星が)


今回は写真盛りだくさんでお届けしました~

ps こうじゅん今度来るらしいじゃん? Let's enjoy the Philippines ^ ^

2010年2月21日日曜日

長いかも・・・?


ちわっす。


ジュリアンさんにくそまじめといわれたのでオフのことも少し。

だいたいオフはフィリピンのアイセッカーと会ってどっかいったりしてます。

とくにスタツア時代からしってるケビン・グレン・ラファエルとはほぼ毎日会っていて、相変わらずのホストの良さには感心します。(手前がケビン、奥がグレン。ケビンは日本語が少し出来て、いつも事あるごとに タクロー バカッ、ちょーバカッ! って言ってくる可愛いやつですww)

昨日はうちの4人部屋に3大学2から20人近くのフィリピンアイセッカーが訪れどんちゃん騒ぎwww

かつてスタツア時代に誰かさんに恋をしたニコロ君も健在で、その話はLC内では皆が知っているらしいwwwwwwww




ああー、でもまたここからちょいと長いごみ山の話ww

こないだあまり話せなかったので、ごみ山パヤタスについて少し詳しく書かせて下さい(でもこれ以外にもあるんですよ)
まずパヤタスといういわばただの(見方によってはただのではないけど)がこうして有名になったのは、2000年における崩落事故があったからです。ゴミの積み上げ過ぎに何かしらの外的要因が加わってゴミ山が崩壊、スカベンジャーと呼ばれるゴミ拾いで生計を立てる人々が1000人以上ゴミで生き埋めになり亡くなりました。

パヤタス付近でtragedyと言えば説明不要この事故を指します。



ここでパヤタスの運命は大きく変わります。ケソン市といくつかのNGOが入り、ゴミの量のコントロールを始め、ゴミ山の角度は崩落の危険がない23~25度に保たれるようになり、ゴミからでるガスを用いたバイオガス製造が始まり、バイオガスを用いて電気が作られるようになり、その電気とゴミ山のプラスティックを用いてレンガや金属が作られるようになり、近くのコミュニティーの道路は舗装されました。





でももちろん、こんなハッピーハッピーな感じで物事は進みませんよね。



まず、ゴミの量はコントロールされているといっても、それはパヤタスに入るゴミの量がコントロールされただけで、他のゴミ山にいくらでも運び込まれている。パヤタスにおけるリサイクル活動の活発化とは裏腹に、新たにもっと環境の悪いゴミ山が裏で出来ているわけです。パヤタスは一種のケソン市による広告塔であり、入口にはwelcome と書かれた綺麗な看板がある。wwwwwww



でも実際は問題ばかり。そもそもパヤタス付近のコミュニティの住人は、もともと他のスラムを違法に占拠していたスクォッターの住人で、政府から住居を破壊されて立ち退きを命じられ、政府からここに送られてきました。しかし大きな問題として、ここの住人は住宅を担保にとられており、土地の値段を一定期間までに支払えないと再び同じことが繰り返されることになるわけです。しかもそれは個人としてではなく、コミュニティー全体としての担保なため、ほぼ条件を満たすことはムリ。せっかくここでコミュニティーを築いても、またいずれどこか別の所に移され、一から住居を作り、コミュニティーを形成しなければならなくなるわけです。

それは彼らはもとは不法占拠者で、当然じゃんとかいう人もいるかもしれないし、まぁ一理あるのかもしれないけど、それでも彼らはここに移されたとき、何もなかった所からなんでもあるコミュニティを作ることをやり遂げたわけで・・・・・・・・

フィリピンにはまだ貧困層を吸収できるだけの福祉制度みたいなものが整っていない。義務教育も場所によっては形骸化しているし、こうした人々に住居も全く提供できない。



ああでも、日本も最近派遣切りの人が住居にも住めない状態になってますよね。





崩落事故により1000人以上が犠牲になったわけです。当然市、国にはそうした状況の原因を作った責任があります。実際事故のすぐ後に国に対して訴えがおこされました・・・が、10年たった現在まで、進展は何もしていません。さらに国は被害にあった子供達に対し教育援助の奨学金制度を作りましたが、いつの間にかその受益条件に80%以上のスコア取得というが加えられていたらしく、結局普通の奨学金と変わらない代物に。





最後にこんなエピソードを紹介します。



ドリアンの名産地で有名なミンダナオ島からマニラに送られてきた人はこっちに来て一つ言いことがあると言いました。

それはなぜかと言うと、故郷では高すぎて食べられないドリアンがマニラでは食べられるからなのです。



ここにはゴミ山があり、廃棄されたドリアンの中から食べられるものを選んで食べればドリアンを味わうことが出来る、そういうことです。





ここであぁただ可哀そうだね~といってるだけではアイセッカーじゃありませんよね。





パヤタスに僕らを案内してくれたリサさんは、フィリピンの問題点を1.皆が自分の土地を持っていないこと 2.外国資本が入ってもフィリピンの為に資本が動かない事と言っていました。



例えばフィリピンにいるとたくさんの日本ODAのマークを見ます。



別にODAに関して全てフィリピンのために寄付するべきだとはいいません。Betterな手段は他にないか、どこで妥協すべきなのかを考えてみる、そういうことですかねっ

 
 
ああ~~なげえ。しかもだいたいが説明になっててつまらないことうけうり。
 
 
ここまで読んでくれたあなた、サラマー、マハルキタ!!今度何かおごりますwwwww

2010年2月20日土曜日

A little bit more about my internship

こーんばーんわ。


今日は少し時間があるので、いつもの手抜きブログの反省も込めて少し多めに書きたいと思います。


今日は僕が責任者(一応)を務める嫡出子国籍再取得プロジェクトについて

現在日本の法のもとでは、外国人と日本人のハーフ、海外で出生した子は、親が出生後3カ月以内に日本の市役所に出生届けを出せば日本国籍を取得できることになっています。つまりです、裏を返せば、例え日本人を親に持とうとも、3か月以内に出生届けを提出しないと日本国籍を喪失してしまうわけです。
同じハーフでも日本で生まれた場合と海外で生まれた場合とで何が違うのか?(日本はアメリカとは異なり出生地主義はとっていないはず)そもそも3か月って何なのか?

現行法では国籍再取得のためには20歳以上になる前に日本で半年以上生活し、所定の手続きをしなければなりません。その半年間は働くことが出来ないうえ、日本に身元を保証する保証人が必要になるのですが、JFCの子たちの場合、もともとが貧しいうえ、保証人などのコネもない場合が多く、現実問題再取得は不可能に近いのです。
その制度を変える。それがこのプロジェクトです。

今一番の問題は裁判のための書類がなかなか集まらないということ。彼女たちにとってはパスポートの申請費用はもちろん、オフィスまでの交通費ももったいないのです。今日電話をかけたクライアントさんは仕事がなく、パスポートの申請は今のところ出来ないと言っていました。

現在書類がそろっているのは4人。書類を一つでも出して原告に加わる意思を見せている人はあと12人います。全部出さないとせっかくお金と時間をかけて出してくれた書類も無駄になってしまう。
とにかく、自分が帰る前に一人でも多く集めたいですね。

ではそもそもなぜ国籍にそこまでこだわるのか。
代表の河野さんは僕らに「国籍をとれば日本に何の障害もなく行けることになる。でも日本に行くことが必ずしもいいことではない。そこには人身売買や文化的差異の問題が関わってきている。それでもなぜ彼らに日本国籍を与えてやりたいかといえば、それが彼らの権利だから。彼らは半分日本人の血を引いている以上日本国籍を持つ権利を有しているはず。日本に行く以外にも、日本国籍をもっているだけで選択肢は広がる。」と言いました。

帰国子女の人などは分かるかもしれませんが、日本のパスポートは世界的にかなりの信用性を誇っています。フィリピンでは駅やデパートのフロアに入るごとに荷物検査があるのですが、前のいかにもフィリピン人な人が入念に鞄を調べられる一方で、僕らはほとんどスルーに近い。これも一つの日本の信用なのかもしれません。

今JFC問題に関して多くが動いています。フィリピンではバティスやドーンといったNGOが女性・子供のエンパワメントに取組み、JFCの子供たち自身もユナイテッドJFCという取り組みを始めている。日本では僕がボランティアをしていたJFCネットワークが、ボランティアのJFC弁護団とともにこの問題に法律的観点からアプローチしています。

今でも時としてGlobal Environment がうらやましくなる時があります。
なんか日本人が多いってだけで、「えー、なんかつまらなそうですね」的な表情をこっちで会うEPにされることもあります。
でも、日本人として、日本に根を持つ大きな人権問題にこうして関わることが出来ることはなかなかない経験だとも思っています。うん。

ps 今日は写真貼るつもりだったのですが、部屋にコードを忘れてしまいましたorz

今度はまたごみ山についてでも詳しく書けたらいいな^^

2010年2月16日火曜日

Smokey Mountain

どーもー、なんか他のEPブログ読んでても鬱ってんのおれだけみたいだなwww

でも皆のコメントや一緒にいる研修生と話す中で、違う考えが出てきました。
残り6週間、残金2万円ちょっと、もう頑張るだけです。うん。




昨日はかの有名なフィリピンのごみ山、スモーキーマウンテンに行ってきました。

2000年の崩落事故で1000人がなくなって以来市やNGOが環境の整備に取り組んでおり、逆に市の取組みの広告塔のように使われている場所でもありましたが、NGOの人とコミュニティのなかに入り詳しく話を聞くと、やはりそこには大きな矛盾を垣間見ることができました。


僕がごみ山を前にして率直に思ったのが、2000年の事故の犠牲者は、あんな臭い生ゴミに生き埋めにされて死んでいったんだな、ということです。

ごみ山は僕らが前日にわざわざ長靴を買い、服は捨てるのを覚悟で入るような汚い場所です。そこで人間が埋められるって何なのかな、とまず思いましたね。


でも意外にコミュニティーには子供の笑顔があふれ、活気に満ちていました。
そうした表面的な明るさと根本のところの厳しさ。そんなギャップに満ちた場所がスモーキーだった気がします。

帰ったらたくさん話しましょう。スカイプも大歓迎です!!

今度もしかしたらもっと荒廃した場所に行くことになるかもしれません。
そしたらまた報告しやっす。

今オフィスの昼休みを使って書いているので、詳しいことも言えず写真も貼れず申し訳ないです。

アコモにネットがないのは本当に不便ですね。

ではではまたまた。

2010年2月14日日曜日

大いなるジレンマ

長らく更新せずにいてすみません。

アコモがかわりネット環境が悪くなってしまったのです。



フィリピンに来て一週間が過ぎました。


前回のブログにだいたいの業務内容は書きました。だいたいはあんな感じです。


より詳細を言うと、僕は今肩書だけはちょっとしたものをもっています。


それは、嫡出子国籍再所得プロジェクトの責任者です。
今日本では、出生届の遅れのために日本国籍を喪失したJFCに国籍を取り戻す訴訟が起こっています。
(嫡出子でも、海外で生まれた場合3か月以内に日本の市役所に出生届を出さないと国籍を喪失してしまうのです。)

今日本では第一陣の原告団が国を相手取り法改正の訴訟を起こしており、マリガヤハウスの子供たちもそれに引き続き第二陣として原告団を形成する予定になっています。

もしかして上手くいけば法律の改正に携われるかもしれない状況にあるわけです。


・・・・とここまで聞くとなんだかこいつ凄いことやってんじゃないの??と思うかもしれません。


しかし、現実問題今は僕にとってかなり試練の時でもあります。



まず、アイセック的なグローバル環境を感じることはほとんどありません。宿舎は日本人の他の研修生と共同生活だし、職場でも日本語が通じます。

仕事もたまにのクライアントとの面談を除けば翻訳が主になってしまっていて残念ながらあまりやっていて楽しいものでもありません。
責任者の肩書もまぁ肩書だけって感じですしね。


なんかどうしてもそういう言ってみれば環境を無理に避けようとして変に同僚の研修生と距離を置こうとしている自分もいる気がする。


もちろんある程度こういう環境は覚悟してたことだし、それでも自分は法関係の職場に行きたいっていって今回の職場を選んだのは覚えているけど、まさかここまで日本だとは思っていなかった。


とりあえず、今の僕に出来ることはできるだけ早くプロジェクトを片づけて、自ら動ける環境を作ることだと思います。

プロジェクトの意義は自分でもちゃんと理解しているし、それを任されて終わらせる前にあれがやりたいこれがやりたいというのは自分でも嫌。
まずはマリガヤハウスにきちんとインターンとして貢献してから自分としてやりたいことをやらせてもらおうと思う。

僕の研修だとただ行って帰って来ただけでは何も語るもののないものになってしまう気がする。

「僕の周りにはインド人と、ハンガリー人と、ブラジル人と、トルコ人と、・・・・がいて、夜お互いディスカッションしたら本当に価値観の違いに気付かされた」、とか


「マックもスタバもなくアフリカで黒人に囲まれて・・・・・」とかそういうことを語ることは全くできないと思う。


僕の場合何かしらのインパクトを残さなければ絶対自分で納得できないと思う。一つは勿論プロジェクトへの貢献、それプラスαも必要。


頑張らねば・・・・・・と自分に言い聞かせる今日この頃。

なんかどんより系ですみませんです。

2010年2月8日月曜日

ここ二日のこと

ここ二日のことを話します。

まず初めにTNの基本情報をまとておきますね。僕の研修先はマリガヤハウスというNGOで、日本人男性とフィリピン人エンターティナーの間で生まれ、その後父親の失踪や養育放棄を受けた子供達(JFC)に対して、国籍の取得や認知・養育費の獲得を通して支援をするという法律系NGOです。本部は東京、現地支部がマニラにあり、東京では主に弁護士と連携しての訴訟準備や父親探しが、マニラでは主にクライアント(だいたいがJFCの母親です)対応が行われています。クライアント対応とは新規クライアントの受け入れ、陳述書に記載する具体的内容の聞き取り、契約の締結、JFCへの日本語・文化教育などです。


2/6、初出勤。メールで事前に休日だけどどうしても出勤してくれ的なことを言われていたので、「おれ必要とされてるな、ヘヘっ」っと思っていたら、当初来るはずだった20人のクライアントのうち半分がその日姿を現さず、あえなく僕の仕事はなくなりました。
ということで、まぁ初日はある意味フィリピン人とアイセック研修の真髄を見られた気がしましたねwwww

2/7二日目。今日はJFCの子供たちが来る日で、一緒に日本語の授業に参加し、そのあと同じTNに来ている香港のヨークと台湾のハナちゃんによる中国の文化セッション。
日本語授業では分からないと知らないの違いは何か、とか、二十歳をはたちと読むのはどうしてか、とかネイティブでもちょっと困る質問が飛び交い苦戦しましたね。
またこのヨークという男がなかなかのヤツで、顔は童顔で背も小さく、適当そうな輩なんですが、プレゼンではなかなか興味深いこと言ってくるし、聞くところによると仕事も会計を中心にかなりのバリューを発揮していたらしいです。今日が彼にとっての最終日で、いなくなるのがちょっと残念。
一方ハナちゃんは日本語専攻の台湾人で、お茶目な感じの女の子です(22歳だけどww)。日本語教えるのが楽しくなり、今日はウザい、チャラい、デキ男・デキ女、萎える、居酒屋をハシゴする、を教えました。教えたい日本語募集中ですww

それが午前のメニューで、午後は事務所の人全員でクライアントが経営する日本料理レストランにインタビューをしに向かいました。(就活中にもかかわらず遊びに来ているCHの谷口さんも一緒にww)
そこで僕は、ビール、卵焼き、揚げ豆腐のステーキ、刺身、レバニラ炒め、餃子、チャーハン、豚の角煮ラーメン、日本風の寿司、カリフォルニアロール的な寿司、ハロハロを食べました。しかも10人で言って皆で「これ欲しい、アレ欲しい、ワイワイガヤガヤ」みたいな感じで注文しまくったのにタダです!!
あり得ないです!多分事務所の10人で20人前くらい食べました。www

飯を平らげ酒も飲んだ後はいよいよ仕事www
今日はJFCとそのお母さんのインタビューをやらせてもらいました。
なんか僕なんかまだ1/7人前くらいなのに、仕事をを偉そうにこうしてブログに書くのははばかられるのですが、伝えるのも仕事の一つかなとも思えるので一応書きます。

まず前提として今回ヒアリングした家庭は日本食レストランとして成功を収めているため相対的にはそれほどシビアなケースではありません。

まずはJFCとのインタビュー。自己紹介から始まり食べ物・スポーツ・教科などの好き嫌い、学校のグレード、学費から小遣いに至る諸経費、将来の夢、父親に対する現在の心境などを聞いていきます。これらは後に裁判所に提出する陳述書の資料になるためかなり慎重に聞く必要があり、出来るだけ自分から確認をとるようにしました。途中彼が「歴史が好きだ」と言ったので(彼の夢は医者で理系の成績も文句なしですww)、事前に用意しておいた日本の世界史の教科書からフィリピンの記述部分を写した写真(ホセ・リサール、アギナルドなど)を見せたら喜んでくれました。まぁちょっとたくろうもデキル子かなあと思っちゃったのは言うまでもないですよねwww
最後のところで彼は父親に対しては特に強い感情は抱いていないと言ったものの、よくよく聞いてみると、彼が父親でなければよかったのに、と話していました。どうして彼は自分たちにこうした問題を残して行ってしまったのか、と。

つぎに母親からのヒアリングです。まずはじめに経済状況を聞いた後、徐々に心情的な部分に質問が移っていきます。彼女は本当に強く賢い女性で、日本料理屋で働いた経験から日本料理のノウハウを会得し、その後独立して成功しているというように一種の起業家でもあります。彼女の話は本当に心打たれるものでした。日本人男性と一緒になった具体的な状況はここでは割愛しますが、それは彼女にとってはかなり厳しいものでしたし、また母として息子を思う気持ちは本当に強いものがありました。「私は強い。だけど子供のことになるとね・・・」と言っていたのは特に印象的でした。

JFC問題は皆が考えているよりずっと深刻です。東京事務所と違いここでは直にクライアントと関わるので、本当に自分の認識の甘さに気づかされる。後から聞くと今日の子供はそのせいでいじめられたこともあり、母親の方も子供に父親の愛情をあげることができなかったと深く悔いています。

りこしゅん、わかってんのそこんとこ?4対3なんて言ってられないんだよ。

あとはヒアリングをレポートにして提出する仕事があります。一緒にいてくれたソーシャルワーカーのカルメンさんは、僕のレポートをチェック、補充してくれると最初言っていたのに、最後には「君のをそのまま棚に入れる」と変わっていました。一体どうなるのやら。

あと、今日ヒアリングをした母親の方が僕らの活動にとても感謝してくれたので、じゃぁその代わり的なノリでアイセックに対してのメッセージを動画でもらっておきました。照明暗いし、音小さそうだし、内容も妥当かどうかわからないけど、アイセックはこうやって人と関わっているんだぞ、っていうのを示す良い材料になりうると思うので、もし使えたらぜひ新歓やその他広報で使って下さい。許可も得てます。

まだ話したいことは多くあるけど、とりあえず今日はこの辺で。
レポート書いたらもうチョイ考えも整理されると思うので、そうしたらスカイプなどで考えを共有できたらいいですね。今日のことはできるだけ文面じゃなくて言葉で話したい気分なのです・・・・・・

明日は引っ越し、明後日は代休、水曜日はリパで文化交流イベントなので、しばらくマリガヤでの仕事はお休みです。あー、やっとこさ大好きな寝坊が出来るぜっ

2010年2月6日土曜日

I'm in the Philippines

無事に到着しました!!とりあえず良かったです。
なんかタイトルがりこしゅんのブログみたいになってますが気にしないでくださいね。


空港到着までトラブルはほとんどなく、チャイナエアラインで快適な空の旅をお楽しみいただけました、うん。



到着後しばらく向かえと会えず若干焦りましたが、なんとかスタツアからの友人であるOwenと会うことができ、感動の再会を果たしつつその足でアジア最大のショッピングモール、Mall of Asiaで ブラブラ。


するとOwenの友達が現れ、結構カオスな状態に。

ここでフィリピンおきまりのパターンに。

タガログ語の下ネタ、放送禁止用語の乱発であるwww


Owen                       "Takuro, tell them your favorite words."
おれ         " I know some filippino words"

ふぃりぴーのA   "What are they?"

おれ         "********"or "************, haha"

ふぃりぴーのB   "OH Takuro!!!!Hahaha  You're great!! Then tell owen ********"

おれ         "*******"

ふぃりぴーのA   "TAKURO!!!!!!!!"(あつい握手を求められる)


打ち解けるには完全に成功し、モールで跳ねながら写真を撮りまくる変な若者集団になってましたww



ここで僕お気に入りのフィリピン人を紹介します。
名前はポール。フィリピン製宮迫ですww





ちょっとアングルが悪いのが残念。うつむいた時とかマジで宮迫ですwww

You resemble a famous Japanese commedian と言ったら超ご満悦でした。


まぁ彼はというと実はアイセックとは何も関係ないただのお調子者なんですがねww




今日はOwenと車の中でたくさんフィリピンの社会問題についても語ることができました。
家族計画への認識の甘さから貧困や犯罪人身売買などの問題が深刻化しているとのこと。Mall of Asia の華やかさの裏にスラムの混沌があるのはスタツアで来た時と全く変わっていませんでしたね(まぁ当たり前なんですが)


まだ始まったばかり、というかやっとスタートラインです

2010年2月5日金曜日

決戦は金曜日

いよいよ明日出発です。




不安と緊張で夜も寝られない・・・・・・・・・・・





と思いきや我が宮原家は思わぬ盛り上がりを見せている。






第一回MLDS開催!!!!!!パチパチ~




まぁ言ってしまえば出発前夜ぼくんちで騒いでるわけです。


明日9時出発のため、始発で家を出ても間に合わない筆ちゃんの一声をきっかけに思わぬ拡大を遂げたこの企画。


同時出発のホコ、見送りのりこしゅんとこうじゅんを加え予想外の盛り上がりを見せている(現在進行形)www




うん、ご覧の通り緊張感まるでなし・・・・・・wwwww
明日起きられんのか?


今日は無事に3人の研修生が出発しましたね。かずほは見送りに行けず、しかもそのため預かっていたミサンガも渡せずごめんなさいです。


僕らの出発も明日に迫り、いよいよだなという実感も少しはあります。

まずはここまで協力してくれたLCのみんな本当に有難う。
それに少しでも応えられるように頑張ります。

辛くなった時にはたかが研修、妥協が見えた時にはされど研修の心意気で行こうと思います。
いや、それよりも Dancing in the rain  かなwww



まぁ何はともあれ行ってきまーす。