2010年3月26日金曜日

3週間凍結していたおバカさん

ずっとブログを凍結してしまい申し訳ないです。



最初は夜ファーストフードに行って書いていたのですが、まぁ安全上あまり宜しくないということと、ただ単純にパソコンの為だけに外に行くのがおっくうという理由で更新していませんでした。まぁ一瞬で終わるメールチェックやフェイスブックに比べると、ブログは時間がかかったり・・・・・・・・・・・・・・・




うん、言い訳だな、こりゃ・・・・・・・・・・










しかも親にメールを送らないでいたらAJに問い合わせがいってアイセックにも迷惑かける始末。









ああー、こたろうさん、おたんこなすは間違いなくぼくのことですわ



もう新歓期はこき使ってやっください。




気がつけばあと5日で帰国することになってしまいました。報告したい事はたくさんあります。最後のブログのあとにも結構いろんなことがありました。









こうじゅんがきたり、ベルトホルドまで旅行者でやってきたり・・・・・wwwwww








まだ終わっていませんが、自分の中でざーっくり研修を総括してみたいと思います。







最初はフィリピンに来て日本人の多さにビビり、なんかこれが海外インターンシップって言えるのかな、という感じの若干鬱が入ったスタートでした。













でも徐々に周りの話を聞いたりしながら、そして仕事が本格化していく中で本当に心からここにきて良かったと思うようになりました。











実は2か月の研修の中で本当に心揺さぶられる時が2回だけありました。






一つは3/14に国籍訴訟プロジェクトの原告団のミーティングがあったとき。既に国に提訴を済ませている第一陣の原告団(TNのクライアントではありません)と、TNのクライアントで構成される第二陣原告団が事務所に集まり、意見交換、情報共有を行ったのですが(TN側のクライアントを集めたのは僕なんですよーww)、そこで、「この国籍喪失制度(国籍法第12条を指します)は国が100年前からとり続けていたポリシーが表れている。我々が勝てば、国に対して100年間の罪を認めさせることができる。」的な議論になっていたのです。マニラ新聞社も交えてのことですから、若干プロパガンダみたくなっているのは事実ですが、たった数人の日本人と、うちの人はいいけど何を思ってるのかよくわからないwwフィリピン人のクライアントが日本の制度を変えられるかもしれないと思うと、本当に鳥肌が立ちます。学生の未熟な身分でこんな大きな動きに携わる事が出来たのは本当に光栄なことですね。










もう一つはスタツアの時の友人を訪ねリパという地方都市を訪れた時。アイセック・リパには一人日本人の名前を持つ女の子がいるんですね。名字も名前も日本人なので、最初は純日本人かと思ったのですが、実はハーフらしいんです。偶然そのことをニコロという今のLCPの男と話していたら、彼曰く、その彼女は生まれてこのかたお父さんに会ったことがないというんです。









なんかタブーな話らしく、正直どこまで本当かは分からないのですが、どうやら養育費なども受け取っていないようで、もし彼の話が本当なら完全に典型的なJFC問題のケースに。









まさかアイセッカーにそういうケースが及ぶとは夢にも思っていなかったので、聞いたときは本当にショックだったのを覚えています。









まだまだ話したい事はたくさんあるし、研修もあと五日残ってます。今原告の数が東京事務所の期待値に届いておらず、マニラに圧力がかかっているところです(マジで)









「たくろー君もしかしたら帰れないかもねーwwww」と言われている今日この頃、ラストスパート頑張ります。














ps くりさんとちゃくがモラルハザードに関して話し合ったとかwwwww









ちゃく、遊びもいいがほどほどにな・・・・・・・・・・・wwwwww









りこしゅん、台湾でリア充してるらしいじゃないか。報告たのしみにまってるぞい

2010年3月2日火曜日

ビガン

今週末は研修生皆でルソン島北部「ビガン歴史地区」に行ってきました。




ビガンはスペイン統治時代の建物が残る地域で、日本でいえば京都みたいな場所。1999年には世界文化遺産にも登録されました。



問題は移動で、マニラからバスでおよそ10時間・・・

まぁロシアやウクライナを1日電車で旅した方々もうちのLCにはいらっしゃるので余り偉そうなことは言えませんが、マイナーリーグの移動じゃないんだしせめて電車位走ってくれていたらなぁという感じ。



マニラ出発日は一緒に研修していた台湾人の女の子が帰る日だったので、彼女に挨拶を済ませてから朝8時頃出発。前夜フィリピンアイセッカーと午前3時半まで飲んでいただけにややきつい朝の目覚め・・・・

{ちなみに前日はアイセックとホンダ・フィリピンのパートナーシップイベントがあり、ホンダ・フィリピンで働いている日本人の方とも会えて有意義な時間を過ごせました。マニラの大気汚染は本当に深刻で(未だに俄然ディーゼル派。車の後ろから白い煙モクモク。)、ホンダもなんとかエコに取り組んでいる模様です。)

10時のバスに乗りビガンに着いたのは20時。その日は何も出来ずホテルにて宿泊。この時バスの中で会った何とも親切なおばちゃんがホテルの世話をしてくれ、スムーズに安い部屋をゲット。



翌朝は7時に起き、ビガン探検に出発。



まずはカレッサと呼ばれる馬車にのり、ビガンをとりあえず一周。立ち寄った店でハロハロをはじめとするローカルフードを食べる。ビガンは本当にスペイン*フィリピンと言った感じの何とも不思議な街並みで、欧風建築の建物の脇から熱帯植物が生い茂るそのさまはさすがアジア唯一のカトリック教国。





夕方になるとなんと前日ホテルを世話してくれたあのおばちゃんが自分が経営?する会社のオフィスに僕らを案内してくれ、そのまま職員の方一同と夕飯に出発。実は夕飯のメニューは既にランチで食してあったのだが、まぁそこは目をつぶり(笑)、おいしくローカルフードを頂きました。



その後エアコン効きすぎ前のおっちゃん背もたれ後ろに倒し過ぎ前で赤ちゃん泣きすぎのバスに再び10時間揺られマニラへ。

今日はボスの誕生日で仕事は休み。最近余り働いていない私ですが、また明日から仕事をがんばります。



仕事の方はというと、書類は徐々に集まり始め、7人位は原告として行けそうな雰囲気です。問題はパスポートの期限切れとフィリピン人特有の適当さwww

電話回線がしょぼすぎてかけてもかけても繋がらない毎日にイライラしつつも、宣言通りクライアントさんが書類を持ってきてくれた時は本当にうれしくなります。



どうやらフィリピン人と言うのは先を見通すのがあまり得意ではない傾向があるようです。特にJFCのお母さんなどはあまり経済的に豊かなほうでないこともあり、何年もかかる訴訟にはあまり乗って来ない。その日の暮らしの方が大切ですからね。



自分的にはそんな中で長期的に将来の事を見つめて訴訟に参加してくれる人の為には一生懸命やりたいと思うのですが、ことはそんなに単純ではありません。



こないだ電話をかけ書類を持ってきてくれたかたに「これで書類は揃いました。あなたは晴れて原告となります」的な事を言ったら、「終わるまで何年かかるの?」と聞かれ、「おそらく最高裁まで行くので数年はかかりますね」と言ったら「数年!?はぁ~・・・」みたいな感じ。ぼくがどんなにこれは個人ではなく国を相手にする裁判なので簡単ではないのですと言ってももう聞いてない感じwwwww



聞くところによるとプロジェクトを立ち上げる時はわざわざ日本から弁護士の先生がフィリピンに来てして説明をしていったそうです。話はちゃんと聞こうよ~wwww



最初はクライアント可哀そうだなとしか思わなかった僕も、最近はいろいろとクライアントの方の問題に気付かされることが増えています。



まぁ人間が関わることですから仕方のない事なのかもしれませんが。

2010年2月24日水曜日

on this weekend

今週末から月曜にかけてのこと話しまーす。


まずは土曜日。DAWNという同じJFC問題に取り組むNGOで日本人が研修していると聞き訪問。

日本語クラスを見学し、自分も少し手伝いましたが、思ったより教えるのは難しい!特に英語もよくわからない小さい子には本当に苦労しました(こどもは苦手なのです・・・・・)。結局僕は敵前逃亡し、隣にいた男性に個別指導をつけていましたwwww
かれは日本で多国籍料理店を開くことを夢見る22歳。僕もフィリピン料理は大好きで、ぜひ日本でフィリピンテイストのレストランを開いてよ!みたいな感じで話していたのですが、こんな話どこかで聞いたことありません?
そう、去年日本で放映された松潤、ガッキー主演のドラマ「フレンズ」ですwwww
彼もそのことを言っていて、凄い偶然、あれはでもなかなかいいドラマだったよと言ってました。

その後はアイセックのイベントに招かれ近くの大学へ。

Outgoing EPs に対するセッションで、フィリピンのMCも日本と同じように「自己、研修国、母国へのインパクト・・・・・」などなど力説していました。

僕もゲストスピーカーとして前でスピーチをする機会を与えてもらい、自分なりに研修について語ってきましたよん。「日本に来るからには誰も英語はしゃべれないと思え!それでも君らはそこで何らかの差異を生み出すことを期待されているのだ!」的な感じでww





その後は前のブログでも書きましたが、うちのアコモでどんちゃんwww

日曜日は研修生のさとしさんとお出かけ。
まずフィリピンなのにモスクに行き、少数派のイスラーム教徒から思わぬ歓迎を受ける。

Someday Islam will embrace you!! って言われた。まぁ日本だったら戒律もそんなに厳しくないし、ムスリムに改宗するのも悪くないかな・・・・



その後は華僑博物館へ。現在フィリピンで絶大なる影響力を持つフィリピン華僑。アイセックの華僑のメンバーは社長の子息ばかりで、仲良しのグレン君は「こないだ誕生日にダッドがフォルクスワーゲン買ってくれたんだけどさぁ~、ホイールわざと花柄にしてんの!ほんとクレイジーwwww」と笑っていましたwwwwww

今や流通・小売、航空、金融、食品などフィリピン最大手の企業はみな華僑資本です。人口比率で言えば全然少ないのに、金は皆彼らが持っています。アイセックの中でも、華僑率は異常に高いです。



月曜日はラファエルにつれられてアメリカ人墓地に。第二次大戦中にフィリピンで命を落としたアメリカ人17000人が眠っているのですが、17000のクロスが整然と公園を囲むその様は圧巻の一言。
お墓なのに美しいとさえ思いました。。。。。。(ユダヤ教徒の墓にはダビデの星が)


今回は写真盛りだくさんでお届けしました~

ps こうじゅん今度来るらしいじゃん? Let's enjoy the Philippines ^ ^

2010年2月21日日曜日

長いかも・・・?


ちわっす。


ジュリアンさんにくそまじめといわれたのでオフのことも少し。

だいたいオフはフィリピンのアイセッカーと会ってどっかいったりしてます。

とくにスタツア時代からしってるケビン・グレン・ラファエルとはほぼ毎日会っていて、相変わらずのホストの良さには感心します。(手前がケビン、奥がグレン。ケビンは日本語が少し出来て、いつも事あるごとに タクロー バカッ、ちょーバカッ! って言ってくる可愛いやつですww)

昨日はうちの4人部屋に3大学2から20人近くのフィリピンアイセッカーが訪れどんちゃん騒ぎwww

かつてスタツア時代に誰かさんに恋をしたニコロ君も健在で、その話はLC内では皆が知っているらしいwwwwwwww




ああー、でもまたここからちょいと長いごみ山の話ww

こないだあまり話せなかったので、ごみ山パヤタスについて少し詳しく書かせて下さい(でもこれ以外にもあるんですよ)
まずパヤタスといういわばただの(見方によってはただのではないけど)がこうして有名になったのは、2000年における崩落事故があったからです。ゴミの積み上げ過ぎに何かしらの外的要因が加わってゴミ山が崩壊、スカベンジャーと呼ばれるゴミ拾いで生計を立てる人々が1000人以上ゴミで生き埋めになり亡くなりました。

パヤタス付近でtragedyと言えば説明不要この事故を指します。



ここでパヤタスの運命は大きく変わります。ケソン市といくつかのNGOが入り、ゴミの量のコントロールを始め、ゴミ山の角度は崩落の危険がない23~25度に保たれるようになり、ゴミからでるガスを用いたバイオガス製造が始まり、バイオガスを用いて電気が作られるようになり、その電気とゴミ山のプラスティックを用いてレンガや金属が作られるようになり、近くのコミュニティーの道路は舗装されました。





でももちろん、こんなハッピーハッピーな感じで物事は進みませんよね。



まず、ゴミの量はコントロールされているといっても、それはパヤタスに入るゴミの量がコントロールされただけで、他のゴミ山にいくらでも運び込まれている。パヤタスにおけるリサイクル活動の活発化とは裏腹に、新たにもっと環境の悪いゴミ山が裏で出来ているわけです。パヤタスは一種のケソン市による広告塔であり、入口にはwelcome と書かれた綺麗な看板がある。wwwwwww



でも実際は問題ばかり。そもそもパヤタス付近のコミュニティの住人は、もともと他のスラムを違法に占拠していたスクォッターの住人で、政府から住居を破壊されて立ち退きを命じられ、政府からここに送られてきました。しかし大きな問題として、ここの住人は住宅を担保にとられており、土地の値段を一定期間までに支払えないと再び同じことが繰り返されることになるわけです。しかもそれは個人としてではなく、コミュニティー全体としての担保なため、ほぼ条件を満たすことはムリ。せっかくここでコミュニティーを築いても、またいずれどこか別の所に移され、一から住居を作り、コミュニティーを形成しなければならなくなるわけです。

それは彼らはもとは不法占拠者で、当然じゃんとかいう人もいるかもしれないし、まぁ一理あるのかもしれないけど、それでも彼らはここに移されたとき、何もなかった所からなんでもあるコミュニティを作ることをやり遂げたわけで・・・・・・・・

フィリピンにはまだ貧困層を吸収できるだけの福祉制度みたいなものが整っていない。義務教育も場所によっては形骸化しているし、こうした人々に住居も全く提供できない。



ああでも、日本も最近派遣切りの人が住居にも住めない状態になってますよね。





崩落事故により1000人以上が犠牲になったわけです。当然市、国にはそうした状況の原因を作った責任があります。実際事故のすぐ後に国に対して訴えがおこされました・・・が、10年たった現在まで、進展は何もしていません。さらに国は被害にあった子供達に対し教育援助の奨学金制度を作りましたが、いつの間にかその受益条件に80%以上のスコア取得というが加えられていたらしく、結局普通の奨学金と変わらない代物に。





最後にこんなエピソードを紹介します。



ドリアンの名産地で有名なミンダナオ島からマニラに送られてきた人はこっちに来て一つ言いことがあると言いました。

それはなぜかと言うと、故郷では高すぎて食べられないドリアンがマニラでは食べられるからなのです。



ここにはゴミ山があり、廃棄されたドリアンの中から食べられるものを選んで食べればドリアンを味わうことが出来る、そういうことです。





ここであぁただ可哀そうだね~といってるだけではアイセッカーじゃありませんよね。





パヤタスに僕らを案内してくれたリサさんは、フィリピンの問題点を1.皆が自分の土地を持っていないこと 2.外国資本が入ってもフィリピンの為に資本が動かない事と言っていました。



例えばフィリピンにいるとたくさんの日本ODAのマークを見ます。



別にODAに関して全てフィリピンのために寄付するべきだとはいいません。Betterな手段は他にないか、どこで妥協すべきなのかを考えてみる、そういうことですかねっ

 
 
ああ~~なげえ。しかもだいたいが説明になっててつまらないことうけうり。
 
 
ここまで読んでくれたあなた、サラマー、マハルキタ!!今度何かおごりますwwwww

2010年2月20日土曜日

A little bit more about my internship

こーんばーんわ。


今日は少し時間があるので、いつもの手抜きブログの反省も込めて少し多めに書きたいと思います。


今日は僕が責任者(一応)を務める嫡出子国籍再取得プロジェクトについて

現在日本の法のもとでは、外国人と日本人のハーフ、海外で出生した子は、親が出生後3カ月以内に日本の市役所に出生届けを出せば日本国籍を取得できることになっています。つまりです、裏を返せば、例え日本人を親に持とうとも、3か月以内に出生届けを提出しないと日本国籍を喪失してしまうわけです。
同じハーフでも日本で生まれた場合と海外で生まれた場合とで何が違うのか?(日本はアメリカとは異なり出生地主義はとっていないはず)そもそも3か月って何なのか?

現行法では国籍再取得のためには20歳以上になる前に日本で半年以上生活し、所定の手続きをしなければなりません。その半年間は働くことが出来ないうえ、日本に身元を保証する保証人が必要になるのですが、JFCの子たちの場合、もともとが貧しいうえ、保証人などのコネもない場合が多く、現実問題再取得は不可能に近いのです。
その制度を変える。それがこのプロジェクトです。

今一番の問題は裁判のための書類がなかなか集まらないということ。彼女たちにとってはパスポートの申請費用はもちろん、オフィスまでの交通費ももったいないのです。今日電話をかけたクライアントさんは仕事がなく、パスポートの申請は今のところ出来ないと言っていました。

現在書類がそろっているのは4人。書類を一つでも出して原告に加わる意思を見せている人はあと12人います。全部出さないとせっかくお金と時間をかけて出してくれた書類も無駄になってしまう。
とにかく、自分が帰る前に一人でも多く集めたいですね。

ではそもそもなぜ国籍にそこまでこだわるのか。
代表の河野さんは僕らに「国籍をとれば日本に何の障害もなく行けることになる。でも日本に行くことが必ずしもいいことではない。そこには人身売買や文化的差異の問題が関わってきている。それでもなぜ彼らに日本国籍を与えてやりたいかといえば、それが彼らの権利だから。彼らは半分日本人の血を引いている以上日本国籍を持つ権利を有しているはず。日本に行く以外にも、日本国籍をもっているだけで選択肢は広がる。」と言いました。

帰国子女の人などは分かるかもしれませんが、日本のパスポートは世界的にかなりの信用性を誇っています。フィリピンでは駅やデパートのフロアに入るごとに荷物検査があるのですが、前のいかにもフィリピン人な人が入念に鞄を調べられる一方で、僕らはほとんどスルーに近い。これも一つの日本の信用なのかもしれません。

今JFC問題に関して多くが動いています。フィリピンではバティスやドーンといったNGOが女性・子供のエンパワメントに取組み、JFCの子供たち自身もユナイテッドJFCという取り組みを始めている。日本では僕がボランティアをしていたJFCネットワークが、ボランティアのJFC弁護団とともにこの問題に法律的観点からアプローチしています。

今でも時としてGlobal Environment がうらやましくなる時があります。
なんか日本人が多いってだけで、「えー、なんかつまらなそうですね」的な表情をこっちで会うEPにされることもあります。
でも、日本人として、日本に根を持つ大きな人権問題にこうして関わることが出来ることはなかなかない経験だとも思っています。うん。

ps 今日は写真貼るつもりだったのですが、部屋にコードを忘れてしまいましたorz

今度はまたごみ山についてでも詳しく書けたらいいな^^

2010年2月16日火曜日

Smokey Mountain

どーもー、なんか他のEPブログ読んでても鬱ってんのおれだけみたいだなwww

でも皆のコメントや一緒にいる研修生と話す中で、違う考えが出てきました。
残り6週間、残金2万円ちょっと、もう頑張るだけです。うん。




昨日はかの有名なフィリピンのごみ山、スモーキーマウンテンに行ってきました。

2000年の崩落事故で1000人がなくなって以来市やNGOが環境の整備に取り組んでおり、逆に市の取組みの広告塔のように使われている場所でもありましたが、NGOの人とコミュニティのなかに入り詳しく話を聞くと、やはりそこには大きな矛盾を垣間見ることができました。


僕がごみ山を前にして率直に思ったのが、2000年の事故の犠牲者は、あんな臭い生ゴミに生き埋めにされて死んでいったんだな、ということです。

ごみ山は僕らが前日にわざわざ長靴を買い、服は捨てるのを覚悟で入るような汚い場所です。そこで人間が埋められるって何なのかな、とまず思いましたね。


でも意外にコミュニティーには子供の笑顔があふれ、活気に満ちていました。
そうした表面的な明るさと根本のところの厳しさ。そんなギャップに満ちた場所がスモーキーだった気がします。

帰ったらたくさん話しましょう。スカイプも大歓迎です!!

今度もしかしたらもっと荒廃した場所に行くことになるかもしれません。
そしたらまた報告しやっす。

今オフィスの昼休みを使って書いているので、詳しいことも言えず写真も貼れず申し訳ないです。

アコモにネットがないのは本当に不便ですね。

ではではまたまた。

2010年2月14日日曜日

大いなるジレンマ

長らく更新せずにいてすみません。

アコモがかわりネット環境が悪くなってしまったのです。



フィリピンに来て一週間が過ぎました。


前回のブログにだいたいの業務内容は書きました。だいたいはあんな感じです。


より詳細を言うと、僕は今肩書だけはちょっとしたものをもっています。


それは、嫡出子国籍再所得プロジェクトの責任者です。
今日本では、出生届の遅れのために日本国籍を喪失したJFCに国籍を取り戻す訴訟が起こっています。
(嫡出子でも、海外で生まれた場合3か月以内に日本の市役所に出生届を出さないと国籍を喪失してしまうのです。)

今日本では第一陣の原告団が国を相手取り法改正の訴訟を起こしており、マリガヤハウスの子供たちもそれに引き続き第二陣として原告団を形成する予定になっています。

もしかして上手くいけば法律の改正に携われるかもしれない状況にあるわけです。


・・・・とここまで聞くとなんだかこいつ凄いことやってんじゃないの??と思うかもしれません。


しかし、現実問題今は僕にとってかなり試練の時でもあります。



まず、アイセック的なグローバル環境を感じることはほとんどありません。宿舎は日本人の他の研修生と共同生活だし、職場でも日本語が通じます。

仕事もたまにのクライアントとの面談を除けば翻訳が主になってしまっていて残念ながらあまりやっていて楽しいものでもありません。
責任者の肩書もまぁ肩書だけって感じですしね。


なんかどうしてもそういう言ってみれば環境を無理に避けようとして変に同僚の研修生と距離を置こうとしている自分もいる気がする。


もちろんある程度こういう環境は覚悟してたことだし、それでも自分は法関係の職場に行きたいっていって今回の職場を選んだのは覚えているけど、まさかここまで日本だとは思っていなかった。


とりあえず、今の僕に出来ることはできるだけ早くプロジェクトを片づけて、自ら動ける環境を作ることだと思います。

プロジェクトの意義は自分でもちゃんと理解しているし、それを任されて終わらせる前にあれがやりたいこれがやりたいというのは自分でも嫌。
まずはマリガヤハウスにきちんとインターンとして貢献してから自分としてやりたいことをやらせてもらおうと思う。

僕の研修だとただ行って帰って来ただけでは何も語るもののないものになってしまう気がする。

「僕の周りにはインド人と、ハンガリー人と、ブラジル人と、トルコ人と、・・・・がいて、夜お互いディスカッションしたら本当に価値観の違いに気付かされた」、とか


「マックもスタバもなくアフリカで黒人に囲まれて・・・・・」とかそういうことを語ることは全くできないと思う。


僕の場合何かしらのインパクトを残さなければ絶対自分で納得できないと思う。一つは勿論プロジェクトへの貢献、それプラスαも必要。


頑張らねば・・・・・・と自分に言い聞かせる今日この頃。

なんかどんより系ですみませんです。

2010年2月8日月曜日

ここ二日のこと

ここ二日のことを話します。

まず初めにTNの基本情報をまとておきますね。僕の研修先はマリガヤハウスというNGOで、日本人男性とフィリピン人エンターティナーの間で生まれ、その後父親の失踪や養育放棄を受けた子供達(JFC)に対して、国籍の取得や認知・養育費の獲得を通して支援をするという法律系NGOです。本部は東京、現地支部がマニラにあり、東京では主に弁護士と連携しての訴訟準備や父親探しが、マニラでは主にクライアント(だいたいがJFCの母親です)対応が行われています。クライアント対応とは新規クライアントの受け入れ、陳述書に記載する具体的内容の聞き取り、契約の締結、JFCへの日本語・文化教育などです。


2/6、初出勤。メールで事前に休日だけどどうしても出勤してくれ的なことを言われていたので、「おれ必要とされてるな、ヘヘっ」っと思っていたら、当初来るはずだった20人のクライアントのうち半分がその日姿を現さず、あえなく僕の仕事はなくなりました。
ということで、まぁ初日はある意味フィリピン人とアイセック研修の真髄を見られた気がしましたねwwww

2/7二日目。今日はJFCの子供たちが来る日で、一緒に日本語の授業に参加し、そのあと同じTNに来ている香港のヨークと台湾のハナちゃんによる中国の文化セッション。
日本語授業では分からないと知らないの違いは何か、とか、二十歳をはたちと読むのはどうしてか、とかネイティブでもちょっと困る質問が飛び交い苦戦しましたね。
またこのヨークという男がなかなかのヤツで、顔は童顔で背も小さく、適当そうな輩なんですが、プレゼンではなかなか興味深いこと言ってくるし、聞くところによると仕事も会計を中心にかなりのバリューを発揮していたらしいです。今日が彼にとっての最終日で、いなくなるのがちょっと残念。
一方ハナちゃんは日本語専攻の台湾人で、お茶目な感じの女の子です(22歳だけどww)。日本語教えるのが楽しくなり、今日はウザい、チャラい、デキ男・デキ女、萎える、居酒屋をハシゴする、を教えました。教えたい日本語募集中ですww

それが午前のメニューで、午後は事務所の人全員でクライアントが経営する日本料理レストランにインタビューをしに向かいました。(就活中にもかかわらず遊びに来ているCHの谷口さんも一緒にww)
そこで僕は、ビール、卵焼き、揚げ豆腐のステーキ、刺身、レバニラ炒め、餃子、チャーハン、豚の角煮ラーメン、日本風の寿司、カリフォルニアロール的な寿司、ハロハロを食べました。しかも10人で言って皆で「これ欲しい、アレ欲しい、ワイワイガヤガヤ」みたいな感じで注文しまくったのにタダです!!
あり得ないです!多分事務所の10人で20人前くらい食べました。www

飯を平らげ酒も飲んだ後はいよいよ仕事www
今日はJFCとそのお母さんのインタビューをやらせてもらいました。
なんか僕なんかまだ1/7人前くらいなのに、仕事をを偉そうにこうしてブログに書くのははばかられるのですが、伝えるのも仕事の一つかなとも思えるので一応書きます。

まず前提として今回ヒアリングした家庭は日本食レストランとして成功を収めているため相対的にはそれほどシビアなケースではありません。

まずはJFCとのインタビュー。自己紹介から始まり食べ物・スポーツ・教科などの好き嫌い、学校のグレード、学費から小遣いに至る諸経費、将来の夢、父親に対する現在の心境などを聞いていきます。これらは後に裁判所に提出する陳述書の資料になるためかなり慎重に聞く必要があり、出来るだけ自分から確認をとるようにしました。途中彼が「歴史が好きだ」と言ったので(彼の夢は医者で理系の成績も文句なしですww)、事前に用意しておいた日本の世界史の教科書からフィリピンの記述部分を写した写真(ホセ・リサール、アギナルドなど)を見せたら喜んでくれました。まぁちょっとたくろうもデキル子かなあと思っちゃったのは言うまでもないですよねwww
最後のところで彼は父親に対しては特に強い感情は抱いていないと言ったものの、よくよく聞いてみると、彼が父親でなければよかったのに、と話していました。どうして彼は自分たちにこうした問題を残して行ってしまったのか、と。

つぎに母親からのヒアリングです。まずはじめに経済状況を聞いた後、徐々に心情的な部分に質問が移っていきます。彼女は本当に強く賢い女性で、日本料理屋で働いた経験から日本料理のノウハウを会得し、その後独立して成功しているというように一種の起業家でもあります。彼女の話は本当に心打たれるものでした。日本人男性と一緒になった具体的な状況はここでは割愛しますが、それは彼女にとってはかなり厳しいものでしたし、また母として息子を思う気持ちは本当に強いものがありました。「私は強い。だけど子供のことになるとね・・・」と言っていたのは特に印象的でした。

JFC問題は皆が考えているよりずっと深刻です。東京事務所と違いここでは直にクライアントと関わるので、本当に自分の認識の甘さに気づかされる。後から聞くと今日の子供はそのせいでいじめられたこともあり、母親の方も子供に父親の愛情をあげることができなかったと深く悔いています。

りこしゅん、わかってんのそこんとこ?4対3なんて言ってられないんだよ。

あとはヒアリングをレポートにして提出する仕事があります。一緒にいてくれたソーシャルワーカーのカルメンさんは、僕のレポートをチェック、補充してくれると最初言っていたのに、最後には「君のをそのまま棚に入れる」と変わっていました。一体どうなるのやら。

あと、今日ヒアリングをした母親の方が僕らの活動にとても感謝してくれたので、じゃぁその代わり的なノリでアイセックに対してのメッセージを動画でもらっておきました。照明暗いし、音小さそうだし、内容も妥当かどうかわからないけど、アイセックはこうやって人と関わっているんだぞ、っていうのを示す良い材料になりうると思うので、もし使えたらぜひ新歓やその他広報で使って下さい。許可も得てます。

まだ話したいことは多くあるけど、とりあえず今日はこの辺で。
レポート書いたらもうチョイ考えも整理されると思うので、そうしたらスカイプなどで考えを共有できたらいいですね。今日のことはできるだけ文面じゃなくて言葉で話したい気分なのです・・・・・・

明日は引っ越し、明後日は代休、水曜日はリパで文化交流イベントなので、しばらくマリガヤでの仕事はお休みです。あー、やっとこさ大好きな寝坊が出来るぜっ

2010年2月6日土曜日

I'm in the Philippines

無事に到着しました!!とりあえず良かったです。
なんかタイトルがりこしゅんのブログみたいになってますが気にしないでくださいね。


空港到着までトラブルはほとんどなく、チャイナエアラインで快適な空の旅をお楽しみいただけました、うん。



到着後しばらく向かえと会えず若干焦りましたが、なんとかスタツアからの友人であるOwenと会うことができ、感動の再会を果たしつつその足でアジア最大のショッピングモール、Mall of Asiaで ブラブラ。


するとOwenの友達が現れ、結構カオスな状態に。

ここでフィリピンおきまりのパターンに。

タガログ語の下ネタ、放送禁止用語の乱発であるwww


Owen                       "Takuro, tell them your favorite words."
おれ         " I know some filippino words"

ふぃりぴーのA   "What are they?"

おれ         "********"or "************, haha"

ふぃりぴーのB   "OH Takuro!!!!Hahaha  You're great!! Then tell owen ********"

おれ         "*******"

ふぃりぴーのA   "TAKURO!!!!!!!!"(あつい握手を求められる)


打ち解けるには完全に成功し、モールで跳ねながら写真を撮りまくる変な若者集団になってましたww



ここで僕お気に入りのフィリピン人を紹介します。
名前はポール。フィリピン製宮迫ですww





ちょっとアングルが悪いのが残念。うつむいた時とかマジで宮迫ですwww

You resemble a famous Japanese commedian と言ったら超ご満悦でした。


まぁ彼はというと実はアイセックとは何も関係ないただのお調子者なんですがねww




今日はOwenと車の中でたくさんフィリピンの社会問題についても語ることができました。
家族計画への認識の甘さから貧困や犯罪人身売買などの問題が深刻化しているとのこと。Mall of Asia の華やかさの裏にスラムの混沌があるのはスタツアで来た時と全く変わっていませんでしたね(まぁ当たり前なんですが)


まだ始まったばかり、というかやっとスタートラインです

2010年2月5日金曜日

決戦は金曜日

いよいよ明日出発です。




不安と緊張で夜も寝られない・・・・・・・・・・・





と思いきや我が宮原家は思わぬ盛り上がりを見せている。






第一回MLDS開催!!!!!!パチパチ~




まぁ言ってしまえば出発前夜ぼくんちで騒いでるわけです。


明日9時出発のため、始発で家を出ても間に合わない筆ちゃんの一声をきっかけに思わぬ拡大を遂げたこの企画。


同時出発のホコ、見送りのりこしゅんとこうじゅんを加え予想外の盛り上がりを見せている(現在進行形)www




うん、ご覧の通り緊張感まるでなし・・・・・・wwwww
明日起きられんのか?


今日は無事に3人の研修生が出発しましたね。かずほは見送りに行けず、しかもそのため預かっていたミサンガも渡せずごめんなさいです。


僕らの出発も明日に迫り、いよいよだなという実感も少しはあります。

まずはここまで協力してくれたLCのみんな本当に有難う。
それに少しでも応えられるように頑張ります。

辛くなった時にはたかが研修、妥協が見えた時にはされど研修の心意気で行こうと思います。
いや、それよりも Dancing in the rain  かなwww



まぁ何はともあれ行ってきまーす。

2010年1月27日水曜日

ハイチ

アイセックインターナショナルでハイチ救済に貢献できることってないんですかね?

まぁ出来ることと言ったらお金集めること位かな・・・・・・・


いや、そんなことないはず。確かに人的資源は送れないにしても例えば衣服を集めるとか、
毛布を集めるとか、勝手に歌作ってみちゃうとか(笑)


おれ今になって思うのが、フィリピンスタツアから帰って来て10日後にフィリピンにOndoyっていう大型の台風が直撃して、数百の死者と数えられないくらいの浸水家屋を出したとき、やったことといえば、Facebookにアップされた浸水にあったアイセッカーの家の写真を使って英語の授業のプレゼンで発表しただけ。しかもプレゼン下手すぎて誰にも聞いてもらえず結局何もならなかったな。

せめてフィリピンスタツア組だけで一人1000円ずつ出し合えば25000円位は集まったし、その輪を広げればアイセックとして5,6万は寄付できた気がする。

基本口だけなんですよね、自分。この口だけ君を研修で少しでも改善してきたい。

といって無理に研修につなげてみました。


とりあえず明日ハイチに募金することに決めた。動ける人への第一歩・・・・・・とはいかないまでも、最初の1ピクリ・・・・みたいな??

でもあのコーラ飲んで11日間生きてた人は凄いっすよね。

2010年1月23日土曜日

これぞエセー

今日経済とフランス語のテストが終わりちょっと一息。

帰りに近所のお気に入りのラーメン屋に一人で立ち寄り、すっかりご満悦です笑。
うん、結構こってり系なんですけど、武蔵家とかとはまた少し違う趣があるんですよね。

最近ラーメン熱が再燃です。美味しいとこ知ってる人は是非教えて下さいな。


今日は語学の話について。

実は僕前にLCMでプレゼンやって以来英語をほめられ若干いい気になっているんですが、もちろん実際のところまだまだ。


最近は出来る限りコツコツ英語はやるようにしているのですが、そのターニングポイントになったのは2つありまして、1つはフィリピンスタツア。もう1つが以前の政治家の講演会で会った弁護士の人の話です。



フィリピンスタツアの話題は僕の中ではもう使い古されているのですが、例の帰国2人と皆英語の堪能なフィリピン人学生に囲まれ、自分だけ話が分からず1人でイジけ、またそのイジけている自分が情けなくてもう・・・・・・・・・・・はぁー・・・・・・・・ってなった話です。
今思い返してみてもいろいろあったな、フィリピン笑
今度のフィリピンは僕にどんな顔を見せてくれるのでしょうか、今から楽しみでーす。



もう1つ弁護士の人から聞いた話っていうのが、これも何人かにはすでに話した気がするんですが、実は今WTOでの妥結交渉を始めとする国際会議などにおいて、日本の権益を守るべく交渉のテーブルにつく弁護士が日本人じゃないことがあるそうなのです。何で??と思ってちょい聞いてみると、どうやら大きな理由の一つに英語力の欠如があるようで・・・・・・・・

なんかちょっと脱力系って感じじゃないですか??

専門家として素晴らしい能力を持ちながら仮に語学力の欠如が原因で活躍の幅が狭められたら勿体ないですよね。
でも逆に言えば言葉ってやっぱそれだけ不可欠でごまかしの効かないものなのでしょう。



またここでゲーテの言葉を引用すると
「外国語を知らない者は自国語についても無知である」



これからも語学がんばるぞーーー!!!っと思い今日東急でフランス語の語学書を買いました。
もうこれから僕の挨拶はサバ?になるので、ウィーーーー、サバ!!!!で返してくださいねwww


最後に、ちょっとホコのブログをみての感想なんですが、今更ながら命は本当に大事です。

実は昨日母親の旧友の方の訃報が届き、母親とも少し話したんですが、本当、生きててナンボです。

なんかスタツアの時とかも他LCだと結構防犯意識が低い人とかがいてびっくりしました。僕がいくフィリピンも決して治安が良い国ではないので、改めて気を引きしめて行かねばと思います。



僕の高校以来の友人で今慶應理工学部にいる男から留年が濃厚だとの知らせが届きました。ちなみにその男はテストの後その足で合コンへと向かうそうです・・・・・・・・・

最後テストも気を引き締めてかかりましょうね・・・・・

2010年1月18日月曜日

懺悔の二連投

まさかの二日連続投稿!!

これには理由が3つある。
1.タイトルにある通り、ずっとサボってたのでそれを悔い改めるため
2.テストからの現実逃避
3.今日南波さんの講演を聞いたから



今朝は見知らぬ人からの電話で起こされた。


誰だこんな休日の朝に・・・(といっても9時近かったですが)と若干睡眠を邪魔されたことにイラッとしながら受話器をとり、「ふぁい、どなたですか~」みたいなかなりの寝起きボイスでこたえていると、受話器の向こう側から妙にキレのある声がしたかと思いきや、「南波です!!」

え・・・?


わざわざ電話で今日の会場を知らせてくれたのだった。
ただいきなり+寝起きでかなり焦ったのは間違いない。


とこれが南波さんトピックの導入で、本題はここから。


今日南波さんの講演にKOからも結構来ていて、みんなそれぞれ感じたことがいろいろあったと思うけど、1つ僕が印象に残っているのは、「役には立たなくても一生懸命本気でやり続けることでインパクトは与えられる」という彼の研修先の方の言葉でした。

実は僕は研修先が決まってからも、現地語も満足に話せず知識も足りない学生に出来ることって何なのかな・・・ただ単純労働力のようにシコシコと与えられた仕事をこなすだけなのかな・・・・・
とか思ってたところがどうしてもありました。でも単純労働力にしても、外国の学生だったら現地の失業者雇った方が継続性もあるし言語も通じるし絶対いいですよね??
実際今回僕が行く研修先は日本と密接に関わってるのですが、日本人であれば少しは自分が行く意味あるかも・・・と思ったのも自分が研修先を選ぶさいの1つの要因になっています。

僕は研修に行くなら自分の将来につながることができて、ただ海外の学生ってだけじゃなくてもっと自分が役に立てる現場がよいと思ってきました。本当は東欧やアフリカのような未知の地域に行ってグローバルな環境に身を置いたりしたかったんだけど、今回はそれは断念していますし。

でも実際NGOとかでプレパしてみると、法律に関わるって言ったってまぁ公文書を扱うだけでなんか弁護士のもとで働けるわけでもないし、なんか行ったところでおれとか意味ないんじゃね?とか思ったりすることも多くて結構悩むというか萎えてたりもしてたんですけど、今日の南波さんの話を聞いてみてちょっと元気が出ました。

実際南波さんってアワードとったりしているけど、仕事先でそんな凄いことをやったわけではないんですよね。ただ本当に1人の現地語も満足に話せない学生として一生懸命に現地で頑張って、それを出来る限り魅力的に他人に伝えている。ただその一生懸命さが半端ない。それだけなんだな・・と思いました。いやもちろんそれが南波さんの凄さなんですがね。

僕も自分のやりたいことをとことんフィリピンでやってこようと思いました。飲んだ時のKYタクローのノリです。
JFC問題をもっともっとよく知って、日本でよりも大きな貢献をしたいし、フィリピンのスラム等の貧困問題に関しては自分がもっと知り、日本の、とくにアイセッカーに伝えたいと思うし、フィリピンへの偏見は出来る限りなくしたいと思う。


多分このブログは帰ってきたときに読むとちょっと面白いんだろうなwww








さぁここらで試験勉強始めるか・・・・・・・

2010年1月17日日曜日

re-start of the blog

やべー・・・・ブログサボりすぎた・・・・・・

またちょくちょく話題見つけて書いていくのでちょいちょい
チェックしてもらえるとスーパー嬉しいです。


じつは最近あまりこれといって書くことはなかったのだが、先週ちょっと良いことがあったので紹介させていただきまーす。


以前ブログに書いたJFCの女の子が無事日本国籍を取得できることになりましたー!!!
それで運よく僕が彼女の役所に提出する書類を代筆することになったんです。ちゃんと出来る限り丁寧に書いときましたよ。

JFCの問題は複雑です。最近知ったのは場合によってはフィリピン人の方にもいくらかの問題があったりするらしいし(在留資格目当てで日本人と関係を持つなど)。

前のLCMでのプレゼンテーションでも言ったけど、フィリピン=パブ・出稼ぎとかのイメージが付いてしまうのは本当に悲しいことだと思う。
現在世界最強のボクサーはパッキャオっていうフィリピン人なんですよ?
マジ亀田なんて目じゃないし多分長谷川穂積でもやられちゃうよ??(階級チョイ違うけど)

ただ同時にフィリピンに関して厳しい現実がクローズアップされるのもまた仕方のないことだしな・・・・

なんかこないだ環境経済学の授業でやったんですが、カーボンフットプリントっていう尺度で測ると、世界全体が日本とおなじ水準の生活をするには地球2・5個、アメリカだと6個必要らしいですね。
まぁでもアジアの国は人口も多いし大市場も近いしもっと発展できるはず。フィリピンもエンタメ施設ばっか作らず道路とトイレの整備にお金かければいいのに。


じつは3か月ほど前からスカイプ英会話というものをやっていて、(よくfacebookに広告出てるアレ)@er以外のフィリピン人の学生とも頻繁に話しています(講師はみなフィリピン人の大学生。that's why it's quite cheap)。趣味からミンダナオ島の虐殺事件、桜の見ごろ、中絶に対する考え方、等々なかなか面白いので帰ってきてからも続けようかなと思ってまする。

そんなわけでなんかフィリピン・・・・国として、慣れた・・(笑)
早く行って研修したいなー。
しかもなんかLIPAってとこでEP向けの会議やるらしくて、NICOLOっていうスタツアのときいろんな意味で僕らにインパクトを与えてくれたwww男がOCPをやっている。激アツダゼ!!!!
研修休んで行かせてくれないかなー